数学アラカルト・第3回 暦についての補足
- 暦と宇宙
そもそも暦というのは、つまり天象に対する人間の解釈、その法則性を政治的に写し取ったものです。といっても前近代においては学問的、ということと、政治的、ということ、あるいは宗教的といったことを厳密に区別することは無意味でしょう。
そしていったん出来てしまった暦は、やはり人間が社会生活を営んでいく上で必要なものとなっていますから、こうして維持されてきています。
おそらく、今後暦が大幅な変更を受けるとすれば、それは世界の政治的統一とか、あるいは地球外宇宙での生活が人類の基本となるような時代の話ではないかと思います。
さて、そのこととは別に、地球、太陽、月、そして宇宙のあらゆるものは物理法則に従って動いています。ところが、これは単純な周期運動とは必ずしも言えません。
物理学では二体問題は周期運動になる(むろん回転運動の場合)ことが知られていますが、あいにく太陽系は多体運動系なので、その軌道運動はカオスとなります。これは周期運動ではないので、従って天象が周期的であるという暦の考え方は実は近似的なものです。
他にも歳差運動の問題もあり、たとえば縄文時代のはじめのころは、北極星は別の星だったとか、従って黄道の位置も当然違うので、もしその時代の天文観測記録があれば、今とは全く違った記述が見られる事でしょう。
このあたりは気をつけなければいけない話で、数千年でもかなり星の方角など、変化していますので、たとえば「ピラミッドの穴から見える星」なんかの話のとき、今見える星の話をしたのではお門違いと言うものです。
実際たとえば紀元前3000年頃、エジプトが統一される少し前ですが、この頃の北極星はりゅう座α星です。また、エジプトの暦といえばシリウス紀年なのですが、これとて今のシリウスの位置で考えたのでは不都合なのはもちろんです。
まあそんなわけで、人類の文明がこの後も地球で数千数万年続くならば、そういう問題も生じてくるはずです。
さて、もう少し天体と暦の関係を考えてみましょう。
一日というのはどれだけの長さなのか、ということについてです。
現在は、一日というのは86400秒のことです。しかし、暦というものを考えると、実はこの1日というものは必ずしも安定した定数ではないのです。
例えば太陽が南中する時刻を測定しましょう。翌日の太陽が南中する時刻も測定します。さて、その間は24時間でしょうか?実はそうではありません。
また、少なくとも日本では、古来日が変わるのは午後12時などではなく、翌日の日の出だったりします。夜半、というのが日の変わり目だという感覚はもともとありませんでした。
こう考えると、86400秒=1日、というのはあくまで現代のもので、むしろ暦的にはほんの少しですが伸びたり縮んだりするものであった、という事ではないかと思います。
ちなみに1日というのは地球が1回転する時間ではありません。
よく考えれば判るはずですが、次の事を考えてみましょう。今が正午だとします。では今から地球が1回転したとき、太陽はどこにいるか、ということです。実はこのときまだ太陽は南中していません。1度ほどまだ東にいるはずです。
だから地球の1回転は大体23時間56分ほどで、一日に満たないのです。これは太陽系の絵を描いてみれば判りますが、地球は太陽のまわりを公転しているため、太陽の方に直面するためには1回転では少し足りないのです。
- 一年は何日なのか
既に述べてきたように、暦によって一年の長さはそれぞれです。
しかしそれとは別に、天文学的にいっても一年というのは何なのか、というのは実は簡単には言えない問題です。
というのは、本質的には地球が実は球ではなく、また地球が太陽のまわりをまわる、といっても実は多体問題の疑似楕円軌道をまわっている、ということからおこるものです。歳差というのですが、これには二つの種類があります。この歳差運動によって、天球の座標系が変わり(従って春分点も移動します)、また黄道自身も変わります。
このため、1年の長さには春分点が巡ってくる太陽年と、地球が太陽のまわりを「一周する」(正確に言うと、観測上の天球を太陽が一周する)という意味での恒星年とがあり、恒星年は365.25636日(西暦2000年の観測値)、太陽年は365.24219日(同)となっています。
以前「ガンダム」を見ていて思ったのですが、このどちらをとるかで、将来もめる、なんてことが起こらないといいですね(過去、宗教改革においてはもめました)。
- 補論:マヤの暦の話
まず最初に考えるべきは、暦によって歴史が記述されているからと言って、それが事実とは限らない事です。
これにはいろいろな場合が考えられますが、
1.過去の記録があったが、その文化が失われたため、残った記録に写された時点で誤ったものになった場合。ひらせ隆男さんの研究の結果が正しいとすれば、東周時代に暦が変わったため、たとえば史記などの記述は年代があわないといった問題。
2.口伝で伝わっていたものを文書化した際に、取捨選択が行われたが、口伝そのものも途中で創作されていたり、また編集されたことにより本来の意義が失われた場合。新約聖書あたりにはかなりその問題があるという、田川建三さんの説。
3.また、勲績碑など、そのひとの功業を記すための文であるがゆえに、敗けた事は書いてない、と言った問題。勝ちっ放しの記録になっているからと言って、実際には敗けたりもしている可能性は十分ある。好太王碑などにこの問題あり。
以上のような事を考えてみると、オカルト趣味の素人が手を出すのは、こういう古代の碑文についてはかなり危険であると言えるでしょう。
少なくとも、考古学、天文学、それに数学についてなんら素養がない場合、碑文の解読の真偽も、またそれに基づく計算の妥当性もわかりませんから、信じたいのだ、というのは勝手ですが、そうなると学問とは言えません。(まあそれでも例のムー大陸に比べればましですが。これなんざ、チャーチワードなる人物が解読したというもとの「古代文字で書かれた」文書も現存しなければ、それの写しさえなく、またどう解読したか、というのもわからないという、学問的にはただのでっち上げ同然のものですから)
さて、ある種の文書には(もちろんネット上ではもっと)マヤの暦はグレゴリオ暦より正確である旨が書かれています。
これは本当なのでしょうか?
その説によれば、マヤの暦の1年は365.242128日であるというのです。ところが、この計算の元になった暦がなんであるか、というのが見つかりません。それどころか、マヤにはどうも閏年の概念が無いようなのですが・・・?これでどうして365.242128日なんて数字が出てきたのかが不明なのです。
この点については未だ明確な出典などを筆者は確認していないので、ご存知の方はお知らせ下さい。むろん、マヤ占いがどうした、とか、最近の「マヤ暦」と称するものは全く別の話なので、知りたいのは、根拠となる碑文などと、そこからどのように計算して導いたか、また、そのことを最初に発表したのは誰なのか、などですが。
さて、以下はそういうわけで推測に基づくものである事をあらかじめお断りしておきます。
マヤ暦に関心がある人にはよく知られている事ですが、マヤには長期暦の他に260日暦、365日暦があったとされています。
しかしそのどれを使っていたにせよ、これでは長期にわたって使うには不便です。つまり、365日暦でも4年に1日、120年でひと月ほどずれますから、たとえば農業に使うには不適当ですし、また長期暦になるともっとひどくて5〜6年で一月ずれますから、季節を必要とするような暦には全く不適当です。
しかし不思議な事にたとえば古代ローマにも1年が355日ほどの暦があり、しかも一月が31日だったり29日だったり、と月齢にもあわないような暦があったりします。
私たちは今、夜でもスイッチ一つで電灯がつく暮らしをしているから、もうひとつ解りにくいのですが、たとえば時代劇には「月のある晩ばかりじゃないぞ」という脅し文句があったりする。実際私も若い頃、ある理由で夜中にとある低い山(といってもちゃんと参道があって、頂上に墓場があるのですが)へ何度も登った事があるのですが、月のない晩だと、足下も満足に見えません。登っているのは私一人なのですが、まあ当然でしょう。
その時の事を思うにつけ、夜空に月のある無し、というのは昔の人にとって私たちが思う以上に大変なことだったと思うのです。
また海洋民族であれば、潮の満ち引きと月の関係に思い至らない方が不思議、というわけで、こうなるとマヤ長期暦の「ひと月」が20日、というのはそもそも月と訳しているのも疑問ですが、実用的とは到底思えないのです。
この事を考えていたとき、第1回でのべたひらせ隆男さんの中国古代の暦に関する著書を読んで、あるいはこれも同様の問題を背景に持つのではないか、ということを思ったわけです。
つまり日常の生活はやはり月の満ち欠けや太陽の位置を観測して行っていたのではないか。そしてそれとは別に記録をするための紀年法として長期暦などが発達したのではないか、ということです。
マヤ文明ではかなり高度の数学的計算がなされていたようですし、そういう計算の発達からいわば計算しやすい人工的な「暦」が一方に作られ、そしてこういう「歴史を記述する」職業の人々に伝えられてきたのではないか。
一方で普段の生活は別の基準で、たとえば実際の太陽や月を観測することによって行っていたのではないか、ということです。
また各種の暦が並列しているのは、上にかいたような事情や、さらに征服や王朝の交代などによるものもあるのではないか、と言った事情です。以上はすべて推測ではありますが、生活に適さない暦というものがなぜ存在していたか、という一つの理由ではないかと思います。
つまるところ暦は天体観測そのままではなく、あくまでそれを記述する者のもつ文化や職制によるものなんじゃないか。と。
ついでにオカルティスト好みの、例の「マヤの暦の終わり」について書いておきましょう。あのノストラダムスの1999年もとうに過ぎたので、最近はあまりノストラダムスは流行らないわけで、これにかわってマヤの長期暦の「終わり」が2012年12月に相当するとかで、この時に世界は滅亡、あるいはなんか別のものに変わるというのが一部で流行っていたりします。
しかし、なんどこの手のものに引っかかれば気が済むのか、と思いますが、そもそも「世界の終わり」「終末論」なんざ古代から枚挙にいとまが無いくらいで、キリスト教だって初期のキリスト教は1世紀末あたりにそれを想定していた事だってあったようです。
また、最後の審判だの、ラグナロクだの、ハルマゲドンだの(これは最終戦争ではあってもそれですぐ世界が終わるとは限りませんが)、あるいはカリ・ユガだの、ともかく宗教関連ではそれの無いものの方が珍しいくらい。何も例のオウムだけが例外じゃないので、なんらかの「今の世の終わり」を想定しないほうが不思議です。そりゃ今のままで結構と思っている人が熱心に宗教に打ち込むかといえば、そうじゃない、この世は何か間違っていると思うからたとえば宗教に熱心になるものですから。
マヤにもまた何か「終末思想」を含む宗教があったたのでしょうから、それがたまたま西暦で言うと2012年にあたってもどうということはありません。
大体マヤ暦の「はじめ」というのが紀元前3114年にあたるのですが、それからずっと一貫して長期暦が使われていた形跡はありません。実際に長期暦による記述が見られるのはどれだけ早く見積もっても紀元後の話ですから、むしろこれは何らかの計算や思想・宗教などによる「始まりの想定」なのです。
キリスト教にもかつては天地創造紀元なるものを使っていた人々がいました。日本でも戦前は神武紀元が使われていました。むろんこれはたとえば神武なる人物が存在しなかった事を意味するのではなく、あくまでその年代が計算上作られたものなので、直接信用するわけにいかない、というだけの事ですが。
こうしてその始原さえ信用出来ない暦の予言なるもの(もっとも世が終わる、と書いてあるのではなく、そこで記述が終わっているだけなのですが)を奉ずる、というのはあまりにも実在の暦さえ無視したただの詐欺行為なのではないか、と思います。
そもそもわが国で「暦」として太陽暦以外に太陰太陽暦が使われていますが、これにも2033年問題というのがあります。詳しくは「西暦2033年問題」などで調べていただきたいのですが、暦の上でですが2033年、9月か10月のどちらかが無くなってしまいます。これは暦の不合理によるものですが、これをもって2033年こそ世界の終わりだと私が唱えたら皆さんはどう思われますか?しかしマヤ暦にかんするそれもはっきり言ってこれと同程度の話なのです。
ちなみに最近はこのマヤ暦の「終末」とフォトンベルトなる謎の(フォトンというのは光子のことなのですが、これはどう見ても光ではありえないので、なんかよく判らん代物みたいです)ものと組み合わせて語られたりしています。学問的な根拠は全くありませんが、ま、この手の商売では普通の話ですね。