干支


 「えと」または「かんし」と読みます。えと、というのは「え」は兄、「と」は弟のことです。みずのえ、といえば水属性の兄(つまり陽属性)だということ。ひのとなら火属性の弟(すなわち陰属性)だという具合。和語ですから訓読みですね。だから本来は「かんし」と呼ぶものなのでしょう。中国の観念ですから。もし今の時代なら水プラス、とか火マイナス、とか名付けるのかな。これで十干を作ります。ずばり陰陽五行説で、五行(水・金・土・火・木)の陰陽(「兄」と「弟」)です。
十干十二支といって、干が十種類、支が十二種類あります。
十二支は日本ではポピュラーですが、本来十二支と動物は無関係です。ただ、かなり早い時期からこの動物を割り当てる、という十二生肖というものが行われていたようです。 では元は何だ、というと、やはり天文に関する言葉のようです。1年が約12ヶ月であること、そして中国では木星紀年、というものが行われているのですが、この木星が12年で天球を一周する、との観念が広く行われていました。おかしな話なのですが、実際は12年より少し短い11.88年なので、計算上の位置と実際の位置があわなくなるときがあります。(当然ですが)
 面白いことに、事実と観念が逆立ちして、この「あるべきところにない」のは、天の星がおかしな動きをしたからだ、とかんがえるわけです。変事の前兆と見なされたわけですね。実は単なる学説の欠陥なのですが。
さらに木星位置の変動は逆まわりである、という観念に基づいて、天球の中で木星の反対側をまわる星が創作されます。(太歳というのですが)
こうしたことから12は特別な数と考えられ、天球を12分割して、紀年法とした、ということのようです。最終的に漢の頃にまとまったそうです。
 一方、日付のかわりに干支を使うのはもっと古く、殷代の文字に残っています。ついでにいえば、殷の王様も干支めいた名前が頻出するのですが。

 ところで十干十二支、ということは10と12の最小公倍数は60なので、60回で干支は一巡りするわけです。その組み合わせでどうなるか、というとたとえば甲子園、という地名がありますが、あれは甲子園が甲子(きのえね)の年、1924年に出来たから、ということのようです。辛亥革命の辛亥(1911年)とか壬申の乱の壬申(672年)とかはすべて干支です。だから、たとえば辛亥の年、三月甲子の日、とかいった記述になるわけです。これに月齢(ただし大まかなもののようですが)がついていたりするので、そこから古代の年代が推定できるという話もあります。このあたり数学というか数学のはじまりでもあるわけですね。
 西暦と比べると不便なようにも感じられますが、そもそも人の一生は120年もないことがほとんどなので、「あれはまだわしが若い頃。そう丙子の年だった」と今の時代にお爺さん(推定90歳ぐらい)がおっしゃれば、1996年ではなく1936年だな、という見当がつきます。
 むしろ元号のほうがわかりにくいので、例えば今から1000年ぐらい経ってまだ元号が使われていたとします。たとえば大正時代がどのあたりかわかるでしょうか?
今から1000年前に在位していた天皇は一条天皇なのですが、平安時代史を勉強していないと(していても?)一条天皇の御代のこと、といわれて平安時代、あるいはその中期あたり、とわかれば上等で、ああ、1000年前に在位していた天皇ですね、とでてくるとすればむしろ「専門の方ですか?」と訊かねばならないでしょう。まして、寛弘三年、といわれて1000年前、西暦1006年だとわかる人は?
 そういう意味ではまだ明治式元号の方が伝統的元号より合理的ですが、(天皇在位中は改元しない、という清ではじまった新しい制度の真似ですね)しかし伝統よりも合理性を重視するのなら、そもそも西暦の方が便利なのは明らかです。
伝統を大事にしようというのなら、ここ100年ちょっとの伝統のみ大事、というのは全く理が通らない考えですね。

ウマル・ハイヤーム


 ウマル(あるいはオマル)・ハイヤーム(1040〜1123)。
名前をローマ字表記すると'Umar Khayyamだそうで。
「ルバイヤート」(ペルシア語の四行詩)の作者として著名。もっともこのルバイヤートというのは詩集の名前ではなくて独特の四行詩の形式を言う普通名詞のようだ。英語圏ではフィッツジェラルドによる英訳が有名で、もはや英文学の古典でもある、という見方さえあるのだそうです。
このルバイヤートですが、原語(ペルシア語)では120種類もの写本があって、内容も100首のものから2000首に及ぶものまであるとかで、真贋論争などもあるとのこと。
というのも元来友達に見せるだけのために書いたのではないか、と言われ、そもそも定本が存在しないのかもしれないからですが。
何せ内容が「酒と人生、虚無と享楽」みたいなものであるこの詩はいかにも日本人好みだと思うのですが、イスラームの宗教から言うと芳しいものではないでしょうね。

酒、禁止だし。


もっとも、酒を飲むというこは人生の無常を悟ることで、永遠なのは神のみなのだ、という真理をついているので、現在この詩は別にご法度というわけではないとのことですが。とはいえあまり推奨される、というわけにもいかないでしょうね。
 書かれた当時は特にそうだったでしょうから、そこが「元来友達に見せるだけ」であると考えられる所以らしい。実際ハイヤーム以外の詩も混じっていると言う説もあるといいますし。
 ところでこの「ルバイヤート」の岩波文庫版(英訳の重訳ではなく、ペルシア語からの訳)の訳者、小川亮作さんが亡くなったのが1951年なので、著作権は切れているようです。(作者本人のは言わずもがな)
ということで、青空文庫に公開中ですが、他にもあちこちに引用されています。「ルバイヤート」とか「ハイヤーム」でネット検索すればすぐにいくつも見つかるので、是非現物に当たってもらいたいところです。
英語版もフィッツジェラルド以外の訳もネットで読めるようだし、日本語訳のページも結構あります。また、小川さんの訳以外にもいくつか出版されているようです。 とりあえず、私もいくつか好みのものを引用しておきましょう。

創世の神秘は君もわれも知らない。
その謎は君やわれには解けない。
何を言い合おうと幕の外のこと、
その幕がおりたらわれらは形もない。

われらが来たり行ったりするこの世の中、
それはおしまいもなし、はじめもなかった。
答えようとて誰にはっきり答えられよう──
 われらはどこから来てどこへ行くのやら?

川の岸辺に生え出でたあの草の葉は
美女の唇から芽を吹いた溜め息か。
一茎の草でも蔑んで踏んではならぬ、
そのかみの乙女の身から咲いた花。

世の中が思いのままに動いたとてなんになろう?
命の書を読みつくしたとてなんになろう?
心のままに百年を生きていたとて、
更に百年を生きていたとてなんになろう?

迷いの門から正信まではただの一瞬、
懐疑の中から悟りに入るまでもただの一瞬。
書くも尊い一瞬を楽しくしよう、
命の実効はわずかにこの一瞬。

世は明けた、起きようよ、ねえ酒姫
酒をのみ、琴を弾け、静かに、しずかに!
相宿の客は一人も目が覚めぬよう、
立ち去った客も帰ってこぬように!

ところで、このハイヤーム、セルジューク朝(現在のイラン)ペルシアの、数学者・天文学者・イスラム法学者・詩人です。(と思っていたのですが、佐々木力「数学史入門-----微分積分学の成立」によると数学者ハイヤームと詩人ハイヤームは別人かもしれない)
数学の業績としては3次方程式に関する研究があげられるようです。またマリキー暦またはジャラリー暦とよばれる正確な暦をつくった(これも当時としては数学の業績と同範疇ですね)。
ハイヤームとは天幕作りの意味だとのこと。
ちなみにイスラム法学者というのは一種の政治家だと思えばよい。あのホメイニ師、とか、イスラム圏で「〜師」といってるのがつまりイスラム法学者。
 私としては方程式のほとんどヴァーチャルリアルな世界とルバイヤートの虚無に相通ずるものを感ずるところでもあり、また数学と芸術の感性や、暦と宇宙(これまた人間の小ささを実感させるものですね)、といったあたりでやはり数学者ハイヤームが詩人ハイヤームでもある、という説にくみしたいところです。