数学アラカルト・第1回 暦の話(その1)
- アラカルトとは
アラカルトというのはフランス語の a la carte で、cartre、というのはカード。この場合はメニューのことですね。
だから、メニューから、という意味なのですが、これはメニューに載っているものを自由に選んで下さい、ってな感じです。反対語はコースでしょうか。つまり特に数学入門みたいな体系ではなく、お好み料理みたいな感じであれこれやっていくので、よろしく、といったところです。
元々は講座の名前なので、私がつけた名前ではありませんが、まあそういうことで。
- カレンダー
暦といえばカレンダー。このカレンダーというのは元々ラテン語(calendarium)で、月のはじめ、ついたちのことです。
- 暦とは何か
暦というものが初めからあったわけではありません。これはやはりある程度まで社会が発展し、権力というようなものが生まれてくる中で、統一した暦法が使われるようになり、またそれを施行するのが王様の権力と結びついていた、と考えた方がいいでしょう。
もっとも地域や民族、あるいは国によってこの暦というものはまったく色々なシステムで作られているわけで、さらに過去にさかのぼると今は使われていないし、今の常識とかなり違う暦も使われていたのではないかと言われています。
現在使われている暦のいろいろについては数学アラカルト・関連リンクを参照して下さい。これらのページには他にも暦についての広い知識が載せられています。
さて、問題はこれら暦というのは結局何なのか、ということです。
つまり、どのようにして暦に従って生活するようになったのか、ということ。
なぜなら、今の私たちのように週単位、月単位で生活の基盤が成り立っていたわけではないからです。毎週決まった休日があって、毎月の給料が(そして諸料金の払い込みや引き落としが)あって、年(というか日本の場合は年度ですね)単位でいろいろある、というようなことが最初からあったとは言えないわけですから。
無論、ある程度季節というよなものはありますし、一日、というものも存在したでしょうが、それを暦にしていくまでにはいろいろあったと思うわけです。
例えば昼と夜をそれぞれ別に考えていたとかもありますし、月はともかく、年なんていうのは相等地域や文化によって違うようです。そんなことをすべて書いていたら部厚い本が何冊にもなるような内容ですので、いくつかエピソード的なことを挙げておくに止めましょう。
- 月について
月、というのは明らかに天体の月を見て作った概念ですが、ひらせ(平せのせは勢の左上が生になった異体字)隆郎さんの著書、「文字と呪術の帝国」「中国古代の予言書」に大変興味深い学説が展開されています。詳しくはこれらを読んでいただくとして、特に中国古代の暦法を調べてみると、どうも新月の日、いわゆる朔が一日、という常識はあてはまらないのではないか、というのです。
ではどのようなものであったか。観象授時(あるいは受時)、といって、実際の天象を観測することによって暦を決めていたということです。だから、後の太陰暦のように一月が約29.5日、というようなものではなく、月によって28日だったり、30あるいは31日になることもあった、というものです。しかも新月というのはつまり月が見えないのですが、天気によってその辺りの観測は微妙なので、どうも三日月(月偏に出、と書いて朏(ひ)というのだそうですが)を一日にしていた形跡もあるとかで・・・このあたりをきちんと処理すると、今まで配列が困難だった事象がぴったり配列できるのだそうです。具体的に言うと、たとえば五月丙午とあったとします。丙午というのは干支で、60日に一巡するものですから、五月に丙午のない年もあるわけです。(約確率二分の一ですね)
ついでながら。そもそも現在の平均29.5日というのも現実には多少の伸び縮みがあるという話ですが。
いずれにしても長い観測の歴史、経験則としての月の巡りが大体このくらい、というのがわかってきて、観測記録もつけられるようになって(これは実はかなり重要です。文字と数字が発明されてなければ、こんな記録は不可能ですし、計算がある程度出来るようにならないと、そこから法則性を見つけるのは困難ですから)、そういった中で徐々に「固定した暦」というものが作られるようになっていく、という話です。
しかしなお春秋時代(周の時代の後期前半。ということになっています)には国によって微妙に制度が違いますし、しかもご丁寧に各国とも自国の暦こそ正統のもの(周の時代の前が殷、その前が夏、という伝説に従ってかの時代の暦・夏正であると)と主張しあうわけで、そのあたりがこの時代の文書に出ているという話です。もっと面白い話もあるのですが、そのあたりは歴史のカテゴリーに書きます。
西洋でもにたような事情で、どこを1月とするか、とかそもそも月の名前を数字で呼ぶかどうか、とか随分時代や地域や民族によって異なるわけです。
わりとよくあるのが、冬至ないし立春、春分のあたりを新年の始まりとするもの。
例えば、現在の西暦は冬至の次の月がつまり1月ですね。もっとも月の呼び名のほうは実は3月が1月になっています。英語のSeptemberのSeptというのは7の意味ですし、OctoberのOctは8というように。これらはラテン語に由来します。神様の名前とか皇帝の名前(というか称号)とか、古代ローマ時代につけられた名前のようですね。
これについては数学アラカルト・関連リンクの国立天文台のページに詳しい解説がありました。勉強になります。
この3月を1月にするのはやはり春分を含む月ではないかと思います。まあこのあたりも「含む月」か「次の月」か、といったところですが、先に述べた観象授時の暦だと、後者になるでしょうね。観測して、初めて月が変わるのだから、当然冬至とかでも何らかの手段で観測して、「んじゃー、次の新月(または朏)から新年にしまーす」ってなもんでしょうか。観念的には前の月、なんてのも捏造されたりするようですが、これは後世、いわゆる殷正とか夏正とかいうものが捏造される時、「当時はそうだった」というのがでっちあげられてから作られたもののようです。
月、という観念がそもそも月の運行に由来するのですから、そういう観念的な暦はあとから出てくるわけですね。この点については次の節、「太陰暦・太陽暦・太陰太陽暦」でも少し触れます。
- 太陽暦・太陰暦・太陰太陽暦
人間が暮らしていく上で、太陽が一番重要なのは確かなのですが、ただ、太陽を基準とした場合、一日というのは日が暮れる、夜が明ける、という現象で大変解りやすいのに対して、一年というのはそう簡単に解るものではありません。長い経験の中から、大体このくらい、というのがわかるくらいです。実際ユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦には千年以上の間があいているわけで、そのくらい正確な太陽暦、というものは難しいわけです。(むしろこれはユリウス暦の正確さを称揚すべきなのかもしれませんが)
これに対し、月は満ち欠けするので大変解りやすいものです。時代劇なんかで「月のある晩ばかりじゃないぞ」という脅し文句が出てきたりしますが、昔は夜は暗かったわけで、(だからみんな早寝早起きしていたりした、というのもあります)つまり逆に月のある晩は明るいわけです。そういう意味で月は今以上に大変身近なものだったと思うのです。
また海洋民族だったら、潮の満ち干というものに鈍感では勤まらないわけで、このあたりと月の満ち欠けの関係についても当然感づいていたでしょう。
そういうわけで太陰暦というものはとても自然に生まれてくるものです。とはいえ前の節で書いたように、一日(ついたち)がどこか、というのは微妙だったりしますが。
で、問題は月の周回で1年を計ると、とても半端だということ。暦が出来た当時と現在とで1年の長さと月の周期が同じだったか、という問題もあるのですが、それをおいておいても、現在1年が365.2422日、一月が29.53日ほど(注。月が一回りする間に地球も動いているため、本当はもうすこしややこしいことになるのだとか。これは、数学アラカルト・関連リンクの、Moonlightー月世界からの報告ーのページなどに詳しいです)
割算をすると約12.37ぐらいなので、一年を12ヶ月とすると大体3年に1ヶ月ほどずれてしまします。
これでは月と季節が一致しなくて不都合なので何年かに一回閏月(うるうづき)というのをつくって調整するやりかたが行われるようになりました。これが太陰太陽暦ですね。
もっとも完全な太陰暦を採用している地域もあります。実はイスラム暦がそうなんですね。これは1年が354日で、奇数月が30日、偶数月が29日。ただし前述のように、月の周期は29.5日よりわずかに長いため、これでいくと肝心の月の運行と合わなくなってしまいます。なので30年に11回(ヒジュラ暦を30で割って余りが2・5・7・10・13・15・18・20・24・26・29の年)うるう年をおいて、その年には1年が355日になるそうです。
ラマダーン(断食月)をはじめ各種の祭りがこのヒジュラ暦で行われるのですが、季節とずれる、というのはやはり不都合もあるようで、グレゴリオ暦を併用したり、あるいはイラン歴(別名ヒジュラ太陽暦。これへの発展過程でジャラリー暦というのがあって、これを考えたのがウマル・ハイヤーム)を使っていたり(イランとアフガニスタン)というようなことだそうです。
さて、太陰太陽暦としては中国文化圏のものが代表的です。
日本の旧暦、つまりグレゴリオ暦導入以前の暦もこの太陰太陽暦で、中国の暦をもとに、幕府天文方などが考案したものです。
ここまでに既に長い歴史があって、これには歴史学上のたとえば正統観などもからんだ問題もありますが、これについては歴史のカテゴリーで。