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作成日: 06/10/03
修正日: 06/10/03
君が代・その2
非政治的ブログ
というわけで問題の安倍総理大臣である。
例の裁判の判決にかみついて、こともあろうに都教委のやりくちは正しい、とぶちあげた。
そういうわけでこのひとも変態の仲間入りなわけである。
この問題はこの人たちがどうしても政治問題にしたがっているわけだが、先にも述べたように、その本質は変態行為を人前でやるのかどうか、という問題である。
少なくとも私はいやがる人の前でいきなりパンツを脱ぎ捨てていられるほど恥知らずではないので、嫌な思いをする人の前で嫌がられる歌を歌ったり、好きでもない歌を歌わせられたりする変態行為が許せないのである。
つまり自分がパンツを脱いで顰蹙を買うだけでなく、いやがる人にまでパンツを脱げと要求するということである。
この世の中でもし私が大通りでパンツを脱いだらどうなるか?職場は馘首になるわ、警察にはお世話になるわ、異性から蔑みと哀れみの目で見られるわ、・・・ろくな結果を生まないことは明らかであろう。なのにこの歌を強要する変態行為だけは何か政治的なような気がするので許されるどころか政府が先頭に立とうというのである。
歌はすきずきである。
少なくとも歌いたくない歌をどういったところで好きになるものではない。君が代だってインターナショナルだって、ご詠歌だって演歌だって国民みんなが好きになる、ってことはありえない。
だから嫌いな人がいやいや歌う、というのではたとえそれがどんないいうたであろうと歌が死ぬ。
では無理に好きになれというのか?
そういうのを変態行為というのだと思うのだが。好きでもない異性を権力の力で好きにさせるというのと同じなのだ。
つまるところどんなに良い歌であろうと関係ない。うたは、その歌を好きな人がうたえばよい。軍歌が歌いたければそういう人が集まってやればよい。聴きたくない人に無理に聞かせなければ、少なくともそういうタイプの変態ではない(では別のタイプか、というのはここでは関係ない。変態かどうかではなく、ことは変態行為の強要なのであるから)。君が代だって同じだし、国歌であっても同じである。私はそういう変態にはなりたくないし、そういう変態行為をいやいややりたくもない。
それがわからないということは結局このひとたちは歌を語る資格がないのである。まあ変態行為を政治だと思っているくらいだからね。
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