作成日: 06/09/15  
修正日: 06/09/15  

テロリズムについて

政治コラム


 テロリズム、というのはもともと恐怖政治の意味である。
フランス革命のときに、ロベスピエールらジャコバン派が独裁政治を行った時、反対派を片端からギロチン送りにしたことに由来する。
つまり本来は権力を握った勢力による反対派への武力弾圧がテロリズムなので、そういう意味ではイラクにおけるテロリズムを行っている最大の勢力はまぎれもないアメリカ軍だ、ということになる。
 もちろんこの言葉は歴史的に転用して用いられるようになり、政治的暴力や政治的暗殺行為、さらにはゲリラ的戦闘行為をもテロリズムというようになった。その過程で意図的か無意識かともかく、本来テロリズムと呼ぶべきではない物事をもこの名前で呼ぶようになったのは示唆的である。
たとえば現在のイラクを見よう。この場合、アメリカ軍(およびその他の多国籍軍)は、言いがかりとしか言い様のない理由を付けて戦争を仕掛けてきた、あらゆる意味で侵略軍に他ならない。
何しろ、攻撃理由であった「大量破壊兵器」も「アルカイダとの協力・支援」も少なくとも戦争前にはなかったことが判明しているわけで、そうなると結局気に入らなかったから攻撃したということになる。後付けと、一方的な理由づけがあるだけで、本来理由としていたことは一つも存在しなかったのだから。
さて、侵略者が居座って、武力をもって気に入らない勢力を攻撃している。一部の「売国的な」連中がこれに協力している。正規軍は既に存在しない。こうなったらどう戦うか。かつての日本のようにアメリカに降伏してアメリカの属国になるか。そうすることを選ばないなら、ゲリラ的な戦い方しかない。その手段が「一般市民」を巻き込むテロリズムだからよくないという批判はもちろん正しい。いくらアメリカが国民感情を逆なでする行為を繰り返したとしても確かにテロリズムではこれまた国民の支持は長期的には得られない。
だがしかし。それを批判する権利はイラク国民にこそあるのであって、間違っても侵略者アメリカにはない。
日本はどうか。近々「前総理大臣」になる予定の小泉という人はイラクに自衛隊を送る時、どう言ったか。「大量破壊兵器」「テロとの戦い」。アメリカの口まねを繰り返しただけだが、その責任は?結局ありもしないものを理由に軍事行動に走ったのだが。
まさにこれこそ平和ボケかもしれないね。軍事行動をもてあそび、それでも国民的非難を浴びない政治家が総理大臣だなんて。そしてその路線を引き継ぐ人が次期総理だなんて。
孫子の兵法の根本は「兵は不祥の器」であること。間違っても安易に使うべきではないということ。後付けの理由は沢山だ。元々唱えていた理由が事実でなかった。アメリカを信じる、というのは嘘でも何でも信じる、ということか。それで軍事行動をする。およそ君子の行うことではない。