作成日: 06/09/12  
修正日: 06/09/12  

よりによって陶淵明?

政治コラム


天皇家の男児に名前がついて悠仁なんだそうだが。
これ自体が良い名前なのかどうか、というのはさておいて。
なんでよりにもよって陶淵明の詩を持ち出すのか。それも帰去来の辞とは。
陶潜、字は淵明。
東晋末から南朝劉宋の人。東晋の末に一時出仕するが世は濁世。名門貴族が威張り散らし、寒門出身の彼の人としての誇りなぞ踏みにじられるばかり。その上王朝末期のおきまりの天災・戦乱・簒奪。
結局「やってられねえ」とばかりに役人をやめた。
そのときの心境を歌ったのが「帰去来の辞」であるわけで。
もうたくさんだ、こんなこと。さっさとあの故郷へ帰ろう。
そういう思いなのだ。
こうして役人をやめた。わずかばかりの田を耕し、貧困に苦しむ。詩人としての名声にあやかろうと近づくような輩を遠ざけ、殆ど仙人のような世捨て人として暮らし、やがて病気に苦しみ、63歳で死ぬ。
そういう男のぎりぎりの思い、それが帰去来の辞なのだ。
およそ大自然の雄大さや悠久の変わらぬものをうたっただけの詩ではないことは第1行目から明らかな詩。
およそ天皇家の後継と目される人間にふさわしいとは言えないでしょう。
それとも将来「俺は天皇なんかにならない。」と言って(そんなことできるのかね)普通の人、それどころか世捨て人になる、という話なんだろうか?