小休止1

 ところで、クラブのいろいろな事件を語る前に、いささか問題にしておかねばならぬ事がある。
まず、この文章は何十年も前の自分など他人同然という考え方で書かれている。したがって、そこに登場するのはあくまで彼であって私ではない。
次に、体力作りについてだが、昆虫採集がその答えであったように思う。これは山や野原を歩き回らねばいろいろな種類の昆虫を集めることができないわけで、このあたり親にうまく誘導されていたわけであろう。まぁコレクター的資質はもとからあったと思うが、その辺をうまくつついたわけであろう。ファーブルの昆虫記(子供向きの訳)など読んでいたのはどう考えてもこの辺の私の興味や性格を読み切られていたわけである。このあたり、心から感謝する。とはいうもののなんか少しくやしいが。
さらに、音楽修業はどうなったかについても少し触れておきたい。
小学生の時からいくつかの楽器を習っていて、当時同じ市内にはちゃんと教えてくれる先生がいなかったので電車で1時間ほどの町に習いに通っていた。それで、その町には高校生以下の青少年だけの団員から成るオーケストラがあったが、これに入団していたのである。そのままゆけば芸術大学に進学していたであろうと思われる。まぁその結果はやはり食えない教師が食えない音楽家になっていただけではあろうが。
当時、このオーケストラにはアメリカンスクールの生徒も来ていて、 後にこの学校の生徒と、私の学校、それに私の学校のOBの通う学校 が、バスケットボールの「国際親善試合」をやらかしたりもした。また、このオーケストラの演奏会を私の住んでいる町でやったりもした。これらは主に私の母が企画したことのように思う。そういうセンスが、母は昔からあった人である。
ハードになっていくバスケットボールの練習とともに、楽器の練習にかける時間はなくなっていったので、結局いったん音楽修業はやめてしまったのである。後に高校生になってから、またもピアノなど習ってはみたが、まぁそれで飯を食うという考えはなくなっていった。こうして、とりあえず初期の音楽修業は終わる。それが後に役に立ち出すのは大学で4年を過ごした後であった。

                      (つづく)