ロバート・A・ハインライン
1950年代のSFといえば、まずこの人であろう。とりわけ、未来史シリーズがこの時代の著作の中では重要である。
J・W・キャンベルの「アスタウンディング」誌の、論理的に破綻が無く人物描写もしっかりした、いわばそれまでの荒唐無稽な冒険小説と一線を画した作品群。
この代表ともいえるのがハインラインの「未来史」を中心とする小説であった。その殆どの作品は日本語訳されているし、現在でも手に入る。
良くも悪くも典型的にアメリカ人の考え方というものがそこにはある。フロンティア・スピリットというか、宇宙のカウボーイというか、1950年代のアメリカ
そのものなのだ。アメリカという国家そのものが自ら自由と民主主義を守っているのだと自負していた時代。すでにマッカーシズム(赤狩り)ははじまっていたし
アメリカの良心と呼ばれる人たちがひどいめにあってもいた。しかし多くの国民は自国の栄光を信じていた、そんな時代のアメリカ合州国。それを宇宙にもちだし
たかのような作品群がこれら「未来史」であるともいえよう。
自らの信念を貫き、自由を守るためにたたかい、できることはすべて自分の手でやる人々。まさに当時の「アメリカ」が理想としていた(しかし現実には存在しな
かった)人間の姿ではないか。
現実のアメリカは、1960年代のベトナム戦争や、公民権をめぐる差別の問題などで徐々に自由でも民主主義的でもない姿をさらけだしていく。実のところそうし
た「自由でも民主主義的でもない」というアメリカの実態はけして1960年代にはじまったわけではない。アフリカ系アメリカ人はずっと差別されていたし、ヨ
ーロッパ系でもイタリア系やドイツ系などへの差別はずっとあったわけであるが、ともあれ明確にそれらの問題が問題として意識されはじめたのが50年代末から
60年代だったといえよう。そういう意味でハインラインも60年代にはそういった陰影をもった作品を生みだしていくことになる。(しかしありがちなことだが、
ハインラインという姓はドイツ系なんだろうか?そういう点でより以上にアメリカらしさの強調を感じるのは私の考えすぎかしらん)
70年代になるとエピソードを並べたような形式の作品が多くなっていく。また、アシモフ同様、自分の過去の作品を一つに融合させていこうとする試みが行われ
るのも印象的である。
おすすめリスト
「夏への扉」
ひとことでいうとロマンティック。元ネタは「モンテクリスト伯」といったところかな?私、これを子供の頃翻案された少年向け小説で
読んだ記憶があってそれも選んだ理由のひとつ。はっきり言ってかなり甘口なんで、その辺は好きずきかもしれないが。
「ダブル・スター」
二重の星、でもあるが、ダブルといえば影武者の意味でもあったりする。その両方の意味をこめてかかれた作品。ある政治家の影をわけあって演じることに
なった売れない俳優の活躍とその後、といった話なのだが、この政治家、というのがなんとなくJ.F.ケネディ(これまた現実の、ではなくイメージの、なのだが)
を連想させるところが面白い。
「メトセラの子ら」
未来史シリーズの一作品なのだが、のちのいくつかの作品で重要な役割をつとめるラザルス・ロングがはじめて登場するのがこの作品である。人為的に選択されて
長命遺伝子をもっているらしい人々、ハワード・ファミリー。その最長老たるラザルスが、短命人種(!)からの迫害をのがれて、ファミリーをひきつれ宇宙へと
脱出し、やがてまた地球へもどってくるという話なのだが、このキャラクターの魅力が非常に大きい。ちなみに元ネタは聖書から。メトセラは千年近く生きた人。
ラザルスというのはラザロ(復活した人)。全体としてはモーゼの「出エジプト記」あたりかな?例の海を割ってエジプトから逃げるっていうあれである。
「愛に時間を」
そのラザルス・ロングが主人公の「メトセラの子ら」の続編である。「その後」2000年に及ぶ生涯のなかでの事件をエピソードをならべた形式で描いているのだが
こういうスタイルで書き始めた最初の作品でもある。
「月は無慈悲な夜の女王」
月世界が地球の植民地となった未来を舞台に、その独立革命をえがく。元ネタはアメリカの独立革命。人格をもったコンピュータがかわいい。また、男女の比率が
極端に偏っていることを原因とする、独特の家族制度。これは後の作品「愛に時間を」でもくりかえされるテーマでもある。