数学アラカルト・第4回 数について(その1)
- 1、2、たくさん
むかしこどもの頃、「南方のある民族は1、2、たくさん、と数を数える」という話を読んだ事があります。
今から思うと、南方の、というあたりがかなり民族差別と西欧文化優位の香りがプンプンするし、だいたいその文章には「民族」というよりもっと差別的に土人だのなんだの、と書いてあったような気がするのですが、なにせこちらもまだ脳天気だった小学生時代の事、批判的に読むとか、背景を読むなんて事は知らなかったのだからしようがないですね。とりあえず、そんなこともあるのかな、とぼんやりと思っていました。
最近これについて検索してみると、オーストラリア先住民アポリジニが、「1、2、3、たくさん」と数えるのだ、とか、4以上の数はアポリジニにはない、とかいう記述をいくつか見かけました。もっともこれにしても明確な出典や記録が示してあるわけではないので、いささかあやしい話なのかもしれないのですが。
さて、なんで1、2、3なり、あるいはい1、2、ときてそこから先がたくさんなのか?
そういう事実がある、あるいはない、というのではなくて、これが果たして数の体系であるかどうかという点について考えてみたいと思います。
もし数えるという発想があるのなら、4なり5なりを生み出すのは別に困難ではないだろうし、もし数えるという行為に手を使っているのなら、5なり10なりまでは自然に作られるのではないでしょうか。なぜ3で止まっているのか、説明がつきにくいように思います。
そこで一つの仮設を考えてみたいと思います。
以下に述べる事は、人類学や民俗学などの裏付けがある話ではありません。
ただ、とりあえず、1、2、たくさん、といった形がまず生まれた理由として私があるいはこうではなかったかと想像するものです。
さて、私たちが数を数えるのは何のためでしょうか。
事の起こりを考えてみると、人間が数を数えるようになったそもそものはじめは、物資の分配に関する事柄ではなかったかと、私は思います。
つまり、ある程度大きくなった人の集団が、ある程度以上の収穫を得た時に、初めて量的分配の観念が生じると思うのです。
実のところ、分配には必ずしも量の概念や、数を数える、といった考えは必要ではありません。
古代の歌謡の中に、この分配に関するやりとりが記述されている、という考えを私は持っています。
たとえば
「字陀の 高城に 鴫罠張る
我が待つや 鴫は障らず
いすくはし くぢら障る
前妻が 肴乞はさば
立柧稜の 身の無けくを こきし ひゑね
後妻が 肴乞はさば
柃身の多けくを こきだひゑね
ええしやごしや こはいのごふぞ
ああ しやごしや こは嘲咲ふぞ。」
という条が「神武天皇」たちのうたった歌として日本書紀に出て来ます。
こんなところでクジラが獲れるわけはないとばかり、このくぢらというのは鯨ではなく鳥の類いだ等という説もでているわけですが、この辺りの当否はとりあえず措いておくとしましょう。
要はこれはくぢら分配のうたである、ということです。
さて、この分配ですが、実はこのうた自体が分配の際にうたわれたうたなのではないでしょうか。つまり、分配儀礼の発生がまずあって、そこから何らかの形で数を表す言葉が生まれた、と考える方が自然です。
たとえば、歌を歌いながら分配を行うわけです。その分配儀礼こそが先にあったのではないでしょうか。
となると、先の1、2、たくさんというのも必ずしもその発生は数詞としてではなく、むしろこの分配儀礼にかかわるものとして生まれたのではなかったか、と考えます。
実際、1、2、たくさん、という言葉だけを用いて分配を行うことをたとえば次のように想像することは可能です。
まず、分配者が1と唱えて自分の分をとる。次に1列に並んだ被分配者に2、2、2、と唱えながら1個ずつ渡していく。そして被分配者の列が途切れたとき、そこでまだ分配物が残っていたら「たくさん」と唱える。
こうすれば、1、2、たくさんだけで分配は可能です。
むしろこの時点では1、2、たくさんという言葉に数詞としての意義はなかったのかもしれません。それが、分配が繰り返され、また集団が大きくなる中で、いつしか数詞に移行していったのではないか。そういう仮説を考えてみることは、必ずしも根拠のないことではないのではないかと思います。
ちなみに「未開社会の思惟」などにも「未開社会」の数詞などが出てきますが、このあたり少々視点の問題があるかもしれません。つまり、数詞であるのか、それとも何か他のものなのか、というのは簡単な話ではないわけですが、いわゆる「文明人」の視点からの決めつけがあるのではないか、また、また影響関係があるのではないか、という問題等です。
こういったことについての詳細な検討をしたわけではないので、以上はとりあえず勝手な仮説の域を出ませんが、いつか詳しく検討してみたいものだと思います。