八木啓代「危険な歌 世紀末の音楽家たちの肖像」



 1973年のチリ。軍事クーデターによって、選挙でつくられた社会主義の政府が倒された年。アメリカ政府の裏からの介入があった。CIAの暗躍、えげつない宣伝。ディズニー映画のドナルド・ダックが反共宣伝をする。そして暴力。この本の中に出てくる歌い手たちもあるいは殺され、あるいは逮捕去れ投獄され、あるいは亡命を余儀なくされた。
 私がフォルクローレというものを知ったのはその後であった。「新しいうた」運動というもの、その歌い手たち。だが実はそのときには既にこの運動は力づくで壊滅させられていた。そしてまた、わが日本国のあまりにもアメリカ合州国のみに偏った音楽。せいぜいがワールド・ミュージックというあまりにも無意味な枠でしか語られることのない音楽。だが真実のうたはまさにそこにこそある。
 やぎ のぶよ さんは、その彼方にあるうたを知っている。そしてそういううたを自らもうたうひとなのだというか、その中で生きている人なのだと思う。だから、日本に住んでいる殆どの人が知らない歌い手たちの名前が近しいものとして次々に登場する。さっそく聴いてみたくなるのだがそこでふと困ってしまうのだ。つまりそこらのCD屋さんには決しておいてないんですよこの種のCD。アメリカ音楽とその亜流たる日本の音楽ならばたいていのものは手にはいるのだが、それ以外となるとね。それでもいわゆる「ワールド・ミュージック」的乗りの音楽ならまださがせばおいてる店もあるんだけど、この本で紹介されてる人たちのCDはそのあたりには売っていない。それどころかまず存在することさえ意識されてない。日本ってすごく偏った国なんだなと、今更ながらに思う。
 だけどいつまでもそんな国であっていいはずがないよね?アメリカの子分、自分の意見も自分の文化も大事にしない国、日本。そこから脱出しようではないか。なにが本当に大切でなにがそうでないのか見ぬく目をもとうではないか。